インタビュー

徳重剛さん インタビュー

2017.12.12

公認会計士からJリーグクラブの経営代表へ

当「Interview」は志を持ち活動する方、とことん何かに打ち込む方、インタビューを通じ、そんな魅力あふれる公認会計士のストーリーに迫ります。

さて、第6回目は、Jリーグクラブ(J3)鹿児島ユナイテッドFCの代表取締役を務めていらっしゃる徳重剛さんです。

徳重さんは、公認会計士試験合格後、有限責任監査法人トーマツに5年間勤務され、FC KAGOHIMAというチームの代表となります。さらに鹿児島県内の別のクラブチームとの統合を果たし、現在は鹿児島ユナイテッドFCというJリーグクラブの代表取締役社長を務めていらっしゃいます。2017年シーズンは惜しくもJ3で4位という結果でしたが、J2への昇格まであと一歩のところまで迫りました。

今回、日本公認会計士協会東京会青年部では、徳重さんがどのような思いでこれまで業務に取り組んできたのか、そして、今までをどう振り返り、今後どのようなビジョンを描いているのか、お伺いしました。インタビュアーは宮本・横山・朝倉・成瀬・髙木(以下、青年部)でお送り致します。

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会計士になったきっかけ&辞めるまで

-会計士になったきっかけを教えてください。-

実は、最初から会計士を目指していたわけではなく、ずっとプロサッカー選手を目指していました。高校1年の時にJリーグが開幕し、当時ブラジルから帰国したばかりの三浦知良選手を目の当たりにし、本気でサッカーのプロを目指し、進学の際にブラジルにサッカー留学したいと考えていましたが、両親に説得されとりあえずは大学に行くことにしました。

大学では体育会サッカー部でサッカー漬けの毎日を過ごしていましたので、まったく勉強せず、その結果、大学4年次はフル単位の勢いで履修をしなくてはいけない状況でした。無事卒業できたからよかったですが(笑)

ただ、大学4年間の体育会では大成せず、サッカーに専念していた他の選手との実力差を感じて、プロを諦めました。

就職については、「体育会の上下関係は、広告代理店向きだ」と部のOBに誘われて、広告代理店に行こうと思っていましたが、最終面接で落とされました。サッカー漬けでまともに就職活動をしていませんでしたし、4年次のリーグ戦も始まるタイミングでしたので、ここしか就職活動は受けていませんでした。

どうしようかと考えたのですが、経済学部だったこともあり、もっと経済の勉強をしようと思い、4年次の卒業旅行の翌日にTACに申し込み、会計士試験を目指すことになりました。当時は会計士何をするのだろうという感覚で、あまりわかっていなかったですね。

2003年に会計士試験に合格後、有限責任監査法人トーマツ トータルサービス部に入所しました。過去にCPA TALKsに登壇した斎藤祐馬さんが2つ下の年次にいました。当時はITバブルの時期で、IT企業のIPO支援や内部統制導入支援等で忙しく、深夜残業は当たり前、決算期は徹夜して、築地で早朝に寿司を食って頑張る。それが格好いい、頑張っているということだと思っていました。今、世間で言われている働き方改革なんて考え方が信じられない時代でしたね。(笑)

トーマツのトータルサービス事業部に5年間在籍しましたが、仕事は楽しかったです。ただ、プロサッカー選手を断念した後も「いずれスポーツの世界で働きたい」という思いはずっと持ち続けており、修了試験が終わった頃から、徐々に「Jリーグのクラブなり、サッカー界で会計士のスキルを活かして仕事ができないか」と考えるようになりました。

そのタイミングで、リバプール大学でサッカークラブマネジメントのMBAがあるのを知りました。そんなとき、岡部恭英さん(UEFAチャンピオンズリーグに関わる初めての日本人)とお会いする機会がありました。リバプールのMBA行きを相談したところスポーツビジネスの世界においても意思決定できる立場でないと意味がない。一スタッフで終わってしまう。本気で経営を学びたいのであればケンブリッジやオックスフォードに行かなければだめだ」とアドバイスを受け、リバプール大学への留学はやめました。

ちょうどその頃に、鹿児島出身の知人2人※と飲み屋で話しながら、「城選手や前園選手、遠藤保仁選手など、鹿児島出身の有名なサッカー選手がいるのに、鹿児島にビッククラブがないのはさみしいよね」という話になり、クラブチームを立ち上げるか!という話で盛り上がりました。酒の席では盛り上がったものの、「さて、誰がやるんだ。」という話になった時に会計士の資格もあるし、いざとなったらなんとかなる。」と思い、自分が中心となって立ち上げることにしたのがはじまりです。それで、当時の上司に相談して監査法人をやめることにした。

※2人:一人は年齢が4つ上のIT企業家(ライブドアの副社長を務め、2005年堀江貴文氏の衆院選立候補の参謀役、サッカー好きでバルセロナ留学までしている。ライブドアでサッカーチーム買収の話があった時も関与)

もう一人は年齢が8つ上で、当時電通に勤めていた人でヤクルトスワローズ球団の参謀もしていた。2人は現在も鹿児島ユナイテッドFCの株主でもあり、関係を持ち続けている。

 

今までで一番苦しかった経験

一番苦しかった経験、裏を返すと達成感を感じた瞬間という観点よりお話しさせてもらいます。

  1. チーム立ち上げ時(夢を口にすることで、なりたい未来が近づく)

監査法人を辞めたのが2008年8月頃です。辞めたはいいものの、さて、サッカーチームをつくるにはまず何から始めればいいのかという状況でした。鹿児島にはヴォルガ鹿児島、及び鹿屋体育大学OBが創設した大隅NIFSというクラブチームの2つがあることは知っていました。

「J1優勝」を目指すなら、一から作って鹿児島県2部とかから始めるには時間がかかるし、ヴォルガと大隈NIFSを合併させるのが早いよねと考えましたが、鹿児島を離れてかなり時間が経っているので、どちらにもコネはありませんでした。

ここで1つの偶然がありました。2008年8月にトーマツを退職した直後は、トーマツ時代に可愛がってもらっていた元上司が立ち上げた九段下の監査法人で働かせてもらっていました。

その元上司と話していて、「将来は、鹿児島にクラブチームを作りたい」という話をしたら、「うちで、鹿児島出身の女性スタッフがいて、お父さんが確か、鹿児島でサッカーチームの監督をしている」とお聞きしたのです。その子がなんと、大隈NIFSの監督の娘だったんですよ。すごい偶然ですよね。知人2人にもすぐに連絡しましたよ。これが2008年9月頃です。

大隈NIFSの監督がトヨタカップで上京するタイミングで12月に会い、サッカークラブ立ち上げの話をしたところ「やりましょう!!」という話で事が進んでいったんです。

人生はやるかやらないです。なりたい未来は口にした方が良くて、そういう夢を口に出すことで、人を引き寄せることになると思っています。

 

2. J3リーグに上がる時(予想できない出来事の連続)

2010年創立の鹿児島FCの話をします。

鹿児島にはもともと50年の歴史がある鹿児島のクラブ(ヴォルガ鹿児島)とFC鹿児島が存在している中、ヴォルガと交渉し、両クラブを統合して鹿児島で愛されるチームをつくることを目指しました。さて、シーズン途中でどうやって統合を進めるか。

はじめは、そもそも50年の歴史のあるチームでいきなり実績のない人たちと一緒にやりましょうよと言われても・・・、というところからのスタートでした。自分たちのビジョンを語り、鹿児島愛をひとつにし、それらを鹿児島のチカラに変えられる存在になるチームになることを語り続けました。

そして統合に向けて徐々に進んでいった統合前の最終年。

(その年に起こった、予想できない出来事の連続は以下時系列にて記載)

 

〜地域リーグ勝ち上がりまで〜

当時は同じ地域リーグ(九州リーグ)に所属していて、その年度はヴォルガ鹿児島がリーグ1位、FC鹿児島が2位でした。本来、各地域リーグの優勝チームだけが、上位の全国地域サッカーリーグ決勝大会(上位はJFL(日本フットボールリーグ)に昇格できる大会)に出場できるルールとなっています。

その後の敗者復活戦でも負けたけれど、不足枠についていずれかの地域リーグの2位が繰り上がるルールの中で、たまたまその年は鹿児島が該当し、FC鹿児島はJFLに出場することになったんです。

 

〜全国地域サッカーリーグ決勝大会(JFL参入をかけた戦い)〜

予選リーグ2試合の時点で予選リーグ突破が厳しい状況でした。最後の第3戦では、4点差をひっくり返さなければならない状況でしたが、後半だけで4点取って逆転勝ちしました。さらに決勝リーグに進み、最終戦ではヴォルガ鹿児島との対戦でしたが、この試合では劇的な40mFKを決めて競り勝ち、FC鹿児島は3位を勝ち取りました。

 

〜JFL参入〜

その年はJ3ができる年で、JFLにチーム受け入れ枠があり、偶然3位までが昇格できるタイミングでした。FC鹿児島が結果3位になったことで、結果的にJFL参入時に主導権を持ちつつ統合することができたんです。これも本当に偶然が重なりましたね。

 

〜統合後〜

吸収合併ではないということを強調しました。上下関係という関係性は嫌だったんです

チーム同士の合併とは言いつつも、新しいチームを立ち上げたという感覚で、新設合併のイメージですね。残った債務は新しい会社では負担しないルールとし、元ヴォルガの社員は、鹿児島ユナイテッドFCに出向という形を取りました。まさに、この年は予想できないことの連続でした。

 

3. チーム運営(経営と現場をわける)

オーナーとして重要なのはスポンサー集めと資金繰り。クラブチームの経営という立場ですね。初年度は予算8百万円、資本金は3.5百万円からスタートしました。予算に関して、2年目は15百万円、JFL上がる時は40百万円、統合時には計170百万円(うちヴォルガ80百万円)と上位リーグに上がることでスポンサーも獲得し、予算も増加していきます。そして今年度は約650百万円です。2016シーズンのJ3実績の話をしますと、予算5億:5位、平均観客数3,600人:5位、最終順位:5位でした。つまり、予算=観客数=実績は連動するというのが感覚としてわかりました

また、オーナーとして重要視していることがあります。監督とは采配などの話は基本しません。選手起用などにも口出ししません。本当は口を出したい時もあるけれどね、オーナーになるとナベツネさんの気持ちよくわかりますよ(笑)。オーナー側として、観客増のための施策とスポンサー獲得に注力しています

さらに、経営という観点だと、資金繰りなど、会計士として培ったスキルが生きる部分は多分にありますよ。本当にお金の知識がないと何もできないなと感じます。選手はある意味、会社にとっての商品であって、例えば、鹿児島ユナイテッドFCでは選手にかけるコスト(人件費)は年間予算の35%までと決めています。総額だけ決めて、どの選手を獲るかといったことは現場に任せています。

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今までで一番覚悟が必要だった決断

トーマツをやめる時はあまり覚悟してないですね。独身だったので失敗してもなんとかなるっていう勢いでした。それよりも、やらないで後悔よりやって後悔。という感覚がありました

 

現在やっていて一番楽しいこと(仕事・private

単純にスポーツに関われていること、仕事を通じて笑顔になる人が増えていることが楽しい。

立ち上げた時は、厳しい声も多かったが、営業では、いつも『鹿児島を元気にしたい』という想いを伝えていました。鹿児島のためとなると、相手も断れないですよね。鹿児島をスポーツで元気にしよう。それが実現できつつあることが楽しい。またクラブチームも順調に拡大しています。(運営スタッフも増えていて今は15人います。アカデミーの育成コーチとかドクターも含めると計70人になります。)

 

究極的な夢・希望&今、挑戦していること

目標はJ1で優勝することです地方のクラブで親会社がないチームの優勝はまだ前例がないので、それを達成したい。例えば、野球でいう広島カープのような感じですね。またカープの成功事例があるように、鹿児島にスタジアムを作りたいという思いはあります。

常に高い目標を持ち続けることを心がけています。

 

もし鹿児島ユナイテッドFCのオーナーを交代できるなら、次何やりたいか。

どういう立場になるかわからないが、スポーツ業界全体に関して言えば、もっとスポーツにお金を回すような流れを生み出したいと思っています。今の日本ではまだまだスポーツ=ビジネスという感覚が薄いんですよお金は出さないけど口を出す人が多かったりして。強くなってから、成功してから手を差し伸べてくれる人はいても、一緒に育てていこうという感覚はまだまだ薄いと思っています。いまになって、監査でいう「期待ギャップの解消」という言葉がしっくりきますね。笑

ただ具体的に何をするかまでは、まだイメージはできていないです。スポーツビジネスの活性化するうえで何が一番か考えています。例えば、いわきFCのような取り組みによって、お金が大量に投入されることで、スポーツビジネスに対する概念は変わっていると思うんです。ああいう先行事例をどんどん投入して、実例を作ることが大事だと思っています。そういう価値観に共感してくれるスポンサーを探しに行く旅とかやっていきたいですね。

-外資の参入に関してはどう思うか-

例えば、リーグの外資規制は日本人の感情論であって、スポーツが地域密着だからこそ難しい面もあると思っています。鹿児島ユナイテッドFCでも中国企業との話もありましたが、地域の気持ちの低下と比べた時に、手を出すべきではないと考えています。

 

会計士業界について若手会計士のメッセージ

会計士とか専門知識を持った人がどんどんスポーツ界に来て欲しいと思っています。しかし、スポーツ界はまだまだ給料が低い、休みが少ない業界なので、現状の環境ではなかなか来ない(来れない)というのが現状だと思っています。その解消には、スポーツの世界でお金が循環する=お金をもらっても悪くないという風潮を作らないといけない、そういう業界にしないといけないと思っています。

でも、逆に言うと今は、まだまだ環境が整っていない業界なので、来るなら今のうちだよ!!

 

以上